御由緒


川越熊野神社は、埼玉県川越市に鎮座する神社です。

 

当社は「明細帳」という文献に、天正18年(1590年)蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まると記されています。そしてその後、松郷の人々はその氏神として、当神社を崇敬してきたようです。

 

下って、正徳3年(1713年)同寺十六世然誉了鑑僧正の時、社殿を改築し鳥居を石造りとしました。現在ある二の鳥居がそれです。

 

御祭神は熊野大神で、すなわち伊弉諾 命,(いざなぎのみこと)・伊弉册命(いざなみのみこと)・事解之男命(ことさかのおのみこと)・速玉之男命(はやたまのおのみこと)の御四神です。

 

伊弉諾命、伊弉册命は、日本の歴史の一番最初に出てくる夫婦の神様です。このお二人の神様は、夫婦道を興しになられただけでなく、多くの国や森羅万象の神様をお産みになられました。そのようなことで、当社は開運・縁結びの神として、信仰されています。

 

特に、当社の主祭神であられる伊弉諾命は、 天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)などの御親神様でもあり、御神徳の高い神として人々に敬われています。

 

「禊(みそ)ぎ」をとても大切にしている神道ですが、その起源は古事記によると伊弉諾尊の禊ぎにあるとされています。

 

それから速玉之男命と事解之男命は、伊弉諾命が黄泉の国から去る際に現れた神と言われています。当社では、どちらの神様も穢れを祓う神様なので、『厄祓い』『厄除け』の神様としてお祀りしております。

八咫烏


当神社の社紋の八咫烏(やたがらす)とは、熊野の大神にお仕えする鳥です。烏は夜明けを呼ぶ鳥、太陽を招く鳥といわれ、人生の闇に悩む人々を明るい希望の世界に導く霊鳥として広く信仰されています。

 

日本を統一した神武天皇が熊野の山中で道に迷われた時、八咫烏が大和の橿原まで先導したという故事に習い、導きの神として篤い信仰があります。八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味です。

 

八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。この三本の足はそれぞれ天・地・人を顕わすと言われています。つまり太陽の下に神様と自然と人が血を分けた兄弟であるということを二千年前に示されていたのです。

 

サッカー協会のマークに八咫烏が使われているのは神武天皇の故事に習い、よくボールをゴールに導くようにとの願いが込められていると考えられます。